仏教式の葬儀・葬式は贅沢なものであり、平安時代においては貴族のみに限られていました。現在の葬儀の形式は禅宗の曹洞宗に端を発すします。禅宗が贅沢な仏教葬式のきっかけとなったことは、厳しい修行がもとめられる禅僧の姿からは想像しにくいですが、それは以下の理由によります。
曹洞宗は密教の影響をうけ、加持祈祷を行うようになりました。死者の供養にも加持祈祷が行われました。また、儒教の影響をうけ、祖先を崇拝することを重要視しました。
中国で編纂された『禅苑清規』(1103年)には、禅宗の葬儀についての作法が説明されています。葬儀の方式には「尊宿葬儀法」(そんしゅくそうぎほう)「亡僧葬儀法」(ぼうそうそうぎほう)の2種が定められています。「尊宿葬儀法」は悟りをすでにひらいた僧侶のための葬儀です。ポイントは「亡僧葬儀法」で、こちらは修行の中途で死亡した僧侶のための葬儀なのです。
厳密には、修行の中途で死亡したため悟りはひらいていません。そこで、死亡した時点で出家をした扱いにし、戒名もあたえたのです。この考え方が僧侶ではない在家の信者にも適用されるようになっていき、僧侶でなくても死亡すれば戒名をさずけられ、出家した扱いをされるようになったのです。
江戸時代にキリスト教をはじめとする異教の排除がはじまると、「寺請制度」(てらうけせいど)が取り入れられ、人民は寺の檀家となることが義務づけられました。これによって人民は異教徒でないことを幕府に証明しました。なお、この寺請制度は今でいう戸籍制度を兼ねていました。こうして庶民もみな仏教徒となり、死んだときの葬儀は仏教式となったのです。