さいたま市見沼区内には、さいたま市大宮聖苑があり、火葬場はもっぱら同聖苑で行われます。市営斎場なので、聖苑スタッフへの寸志は不要であり、禁止されていますのでご留意ください。さいたま市見沼区に営業所のある葬儀会社は、スキム、JAさいたま、埼玉福祉助葬会、彩礼、農協葬祭センター、福祉葬祭、アートメモリアル・ジャパン、ひまわり葬祭、煌栄式典、妙法社、葬儀プロデュース宝城、サイカン典礼、大宮典礼会館などの会社があります。
見沼区は旧大宮市の東部に位置しています。見沼代用水と芝川に囲まれ、南東部には見沼田圃と呼ばれる田園が広がります。県道65号より北、東武野田線沿線に至るまで、大規模に宅地開発され、東京やさいたま市中心部へ勤務する人たちの一大ベッドタウンになっています。また、レンズメーカーのタムロン、アンテナメーカーのタムロンが見沼区に本社を構えています。
見沼代用水は江戸時代、井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)の指揮により工事が行われ、造られたものです。荒川下流の水害防止や、現さいたま市周辺の新田開発のため、利根川の経路を東へ移す大工事があり、元の流路周辺の水不足を招かないよう、見沼溜井が造られました。それでも新田の開拓と共に水不足が生じ、人民による対策の陳情が起こりました。折しも、徳川吉宗による享保の改革が始まり、幕府から井沢弥惣兵衛が命じられ、新しい水路の確保、すなわち見沼代用水の建設工事が行われたのです。用水はその後、あたり一帯を潤しつづけました。これに伴い見沼溜井は干拓されたのですが、中には反対者もおり、また、見沼溜井の竜神が干拓事業を行わぬよう哀訴したという伝説も生まれました。この伝説の竜神をもとにした、さいたま市のマスコットキャラクター「つなが竜ヌゥ」が2007年に誕生しました。
南東部に市営墓地である「思い出の里」があります。見沼田圃の田園地帯にあり、風情のある大規模な霊園です。「思い出の里会館」が隣接しており、火葬場は無いものの、御通夜・告別式・葬儀式といった葬儀セレモニーを執り行うことができます。実際に葬儀式をマネージメントするのは葬儀社になります。企業の有力者が亡くなれば社葬が行われることがあり、一般人の逝去では、家族葬や一日葬(ワンデーセレモニー)が流行になっています。