横浜市の斎場を紹介します。
瀬谷区(せやく)は横浜市の西端に位置します。区内に火葬場はありませんので、隣接する緑区の横浜市北部斎場などが火葬に使用されます。同斎場は市営ですので、職員は寸志を受け取ることを禁止されています。横浜市瀬谷区に本店・支店のある葬儀会社は、すみれ葬祭、相生、葵典礼、公和、葬儀の板橋、双葉、太陽の光などといった会社があります。
瀬谷区は。相模の大地・平野の上にあり、5つの川が流れ、西は境川を境として大和市と接しています。歴史は古く、旧石器時代の本郷遺跡、林遺跡が発見されています。縄文時代の遺跡が阿久和で発見されているほか、弥生時代の遺跡もあり、古墳も八幡上古墳、別太羅塚古墳、長天寺古墳が発見されています。鎌倉時代には主要な街道が通りました。上杉禅秀の乱(1416年)では、上杉・足利持仲と江戸・豊島の軍勢が世谷原の戦いで激突しました。江戸時代に入ると、徳川氏の領地になりました。瀬谷村にお鷹場があり、将軍が鷹狩りを行いました。明治時代に入って近代化が進むと、養蚕が盛んになり、桑畑が多くあり、守屋製糸場など多くの製糸場が稼動しました。
現代では、国鉄跡地に工業団地ができ、国道16号・246号に近いことから物流の拠点になっており、多くの物流会社の拠点、倉庫があります。依然として農業も盛んで、酪農を行っている農家もあります。横浜市内としては長閑な農村風景を見ることができます。市営住宅、病院、教育施設、公園も充実しています。歴史が古いこともあり、白姫神社、左馬社など神社が多いことも特徴です。
かつて人が亡くなるのは、自宅の床の上でした。葬儀も家で行い、葬列をなして火葬場まで棺を運んだものです。現代では大半の人は病院で臨終を迎え、葬儀は斎場で行われます。区内に火葬場が無いこともあり、葬儀社に葬儀を依頼し、セレモニーホールでお通夜・告別式を行い、出棺後、火葬場までは、ご遺体は葬儀社の霊柩車で運び、遺族は葬儀社手配のマイクロバス等で移動することになります。