泉区に火葬場はないため、隣接する戸塚区の戸塚斎場などが火葬で使用されます。戸塚斎場は公営斎場なので、職員への寸志は行ってはいけません。お通夜・告別式などの式は葬儀社のホールで行われるのが一般的です。横浜市泉区に本社・支店のある葬儀社は、坂本祭典、横浜南商事、相模善香社、洸和セレモニー、セレモニア三宝、和泉葬儀社、香雲社、横浜式礼、坂本典礼などの会社があります。
泉区は横浜市の南西に位置し、相模野台地の上にあり、大和市、藤沢市に接しています。鉄道は相鉄いずみ野線、横浜市営地下鉄ブルーラインが通ります。住宅地が多く、日立製作所、ブリヂストンなどのベッドタウンともなっています。中国残留孤児とその帰国家族や、インドシナ難民とその家族を受け入れており、市営の飯田団地、いちょう団地などに居住しています。多文化共生が試みられており、在校生の半数が外国人という学校もあります。
泉区の一帯は長い歴史をもっています。川沿いには縄文遺跡が点在し、弥生土器も出土しました。柳明遺跡など横穴墓も見られます。律令制のもとでは相模国鎌倉郡です。鎌倉時代、同じ鎌倉郡に幕府が置かれたため、発展しました。鎌倉街道も通りました。同地ゆかりの飯田氏は源頼朝を救ったことで有名です。後北条氏の時代、岡津城が建築されました。江戸時代には、岡津陣屋が設置されました。明治になると、萩原製糸工場など製糸場が各地にでき、養蚕業が隆盛になりました。第二次世界大戦時中には外国人の隔離施設が置かれました。
現代に入り、1986年、戸塚区から分離するかたちで泉区が誕生しました。鉄道が開通し、ニュータウンが造成され、住宅地として発展しました。近代以降の移住者が多く、葬儀は伝統的な風習よりは、近代的な葬儀社主導の現代葬儀が主流となっています。外国人が亡くなった場合は、故人や遺族の宗教に則った形式で葬儀式が行われるのが通常です。