館山市(たてやまし)にはかつて館山市斎場がありましたが、安房聖苑(南房総市)が平成24年10月に開業したことに伴い、館山市斎場は業務を終えました。館山市民に不幸があり、火葬が行われる場合、主に安房聖苑が使用されます。安房聖苑は広域連合の安房郡市広域市町村圏事務組合による運営で、同組合は館山市のほか、南房総市、鴨川市、鋸南町が加盟していて、安房聖苑のほかに長狭地区火葬場を管理運営しています。そのため安房聖苑は公営斎場であり、斎場スタッフへ寸志やお清め(チップに類する金銭・物品)を渡してはいけません。
千葉県館山市は房総半島の南方に位置します。最南端だと思われることもありますが、房総半島最南端の野島崎を有するのは南房総市です。館山には独特の葬儀風習が残っており、先に火葬を行ってから、御通夜・葬儀式といった式を行うのです。いわゆる前火葬と呼ばれる習慣です。館山市に営業所のある葬祭業者は、三和仏商、ヤマト佛商、山内六三郎商店、葬祭ナカムラなどといった会社があります。
館山市は昭和14年、館山北条町、那古町、船形町が合併し、市制施行して誕生しました。昭和29年、西岬村、富崎村、豊房村、神戸村、九重村、館野村を吸収しました。館山市は南房総エリアの行政的、商業的な中心地です。かつては市街地の商店街も隆盛を誇っていましたが、近年は郊外型のショッピングモールに圧されるかたちで、衰退してきています。
あたり一帯の歴史は古く、かつて律令制のもとでは安房国という国でした。1580年、里見義頼により館山城というお城が建てられました。里見氏の改易(身分剥奪、所領没収)により一度館山藩が取り潰されたとき、館山城も廃城となってしまいました。正確な館山城の設計図、外観・内部の詳細は残っておらず、現在、館山市立博物館分館として再建されていますが、当時の館山城を正確に模したものではなく、犬山城(愛知県犬山市)をモデルにしています。
その館山城模擬天守である館山市立博物館分館は、「南総里見八犬伝」に関する展示を行っています。「南総里見八犬伝」は江戸時代後期に滝沢馬琴によって書かれた長編小説です。「南総」とは房総半島南部のエリアのことで、他ならぬ館山市を中心とした地域です。「里見」は館山藩の藩主であった里見氏をモデルにした里見一族のことです。里見家の姫・伏姫と、8人の若者(八犬士)たちを主軸に、南房総を主舞台として長大なストーリーが描かれているのです。
洲崎には洲崎神社という神社があります。洲崎神社の由来は伝説的で、神武天皇が房総半島に上陸して同地を平らげ、神武天皇の治世の時代に、天比理乃咩命が持っていた鏡を御神体として祀ったのが、洲崎神社の始まりとされているのです。なお、祭神の「天比理乃咩命」は「天比理刀咩命」と表記するという説もあります。「延喜式神名帳」が「刀」と記すべきところを「乃」と誤記載してしまったとする説です。洲崎神社には洲崎のミノコオドリとう小唄踊りが伝わっており、千葉県の無形民俗文化財に指定されています。近隣の子供や婦人たちにより今現在も継承されています。