木更津市(きさらづし)木更津市火葬場(木更津市大久保840-3)があり、木更津市民に不幸があれば、同火葬場で火葬が行われるのが通例です。家族等が亡くなったら、死亡の事実を知った日から7日以内、平日8時30分~17時15分に市役所市民課(または富来田出張所)に、それ以外の日時には市役所守衛室に死亡届を提出します。死亡届書、届出人の印鑑のほか、故人の印鑑登録証、国民健康保険証(老人手帳)があれば持参します。
千葉県木更津市は、房総半島の西部中央に位置し、西端は東京湾に面しています。木更津は、太平洋戦争時には軍の施設があり、工員などが移り住み、敗戦後の高度経済成長期には京葉工業地域の一角として、新日鉄の進出などで発展し、80年代、かずさアカデミアパーク構想の中核都市として研究所の誘致を行うなど、順調に経済発展し、人口が増えてきましたが、バブル崩壊後のデフレ不況によりしばらく低迷、しかし東京湾アクアラインが川崎から木更津にかけて開通するなど、木更津が脚光を浴び、近年は再び、若干ですが人口増に転じています。このように木更津は新しい住人が多く、お葬式では、家族葬をはじめとした現代的な葬儀がメインとなっています。木更津市に営業所のある葬儀会社は、セルモ、石井造花、クオール、しらゆり、博愛社、鹿島商店、ふそう式典、JA木更津市葬祭センターなどといった企業があります。
木更津市は、君津市、富津市、袖ケ浦市と共に「かずさ4市」と呼ばれ、バイオテクノロジー関連の研究施設を一定エリアに誘致するかずさアカデミアパーク構想もこの4市合同で行っています。同構想は、かずさDNA研究所、佐藤製薬、田辺三菱製薬などを誘致しましたが、当初期待していたよりも研究施設の誘致は滞っています。かずさアカデミアパークの中心施設を運営している株式会社かずさアカデミアパークは、2010年に事実上倒産し、現在再建を模索しています。
木更津という地名の由来は、倭建命(ヤマトタケル)の伝承によります。倭建命が東国を征伐する際、舟で上総国へ渡ろうとしたおりに暴風雨に見舞われました。このとき倭建命の妻・弟橘姫が海に投身し、悪天候を鎮めたのです。無事に上総国にたどりついた倭建命は、同地にしばらくとどまり、弟橘姫を想い、「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」という和歌を詠みました。この和歌の「君さらず(君不去)」(きみさらず)が転じて、木更津(きさらづ)になったというのです。なんというロマンのある地名でしょうか。